プレミアムフライデーに対するツッコミに対するツッコミ
仕事というものをいつもより俯瞰して見られる状況にある中で迎えた、プレミアムフライデー。「あまり変わらない」「やっても意味ない」という空気感が正直イヤなのでちょっと書きとめておきたい。
まず、プレミアムフライデーは働き方改革もさることながら、「新たな個人消費喚起キャンペーン」に主眼があることに留意したうえで、このようなツッコミに対して私見を述べる。
ツッコミ系統1:「接客業とか旅行業は逆に忙しくなるじゃねーか」的ツッコミ
→ 「それでいいじゃないか」としか言えない。こうした業界にはいわゆる「かきいれ時」が増えるわけで、歓迎こそすれ批判するべきものではない。
ツッコミ系統2:「結局仕事のどこかにしわ寄せいくじゃねーか」的ツッコミ
→ 前倒しで片づけるとか、プレミアムフライデーで英気を養ってからリカバーすればいい。ツッコミ1の接客業・旅行業はその間に振休もとれる。有給や夏休みにあわせることはできても、プレミアムフライデーには合わせられない、というのは理屈としてはちと考えにくい。
ツッコミ系統3:「官公庁とか大企業とか偉い人とか、プレミアムな人のためのフライデーなんだね」的ツッコミ
→こじらせすぎ!自虐が過ぎる!ツッコミというかやっかみになってる。この手のことを公言しちゃう人は、自分は社会の奴隷ですと言ってるに等しいから、考え方改めるか、少なくとも口には出さない方がいい。
私としては、これらのツッコミの根っこには、そもそも日本人の「休み」に対する変な罪悪感?背徳感?うまくいえないけどそんなものが先入観としてある気がする。休むこととグータラすることは同義ではない。消費活動でも、普段できないことでも、休みを「活用」して、意義あるものにすればいい。
今年は3連休も少ないことだし、願わくばプレミアムフライデーの活性的な浸透を願う。
夏目漱石
没後100年だとか。
49歳にて逝去。若いよね・・・
中学か高校の教科書に『こころ』の一節、しかも「先生と遺書」のヤマ場の部分を抜粋したものが掲載されていて、それが漱石に触れた最初だと記憶している(私見だが、中高生の多感な時期に『こころ』を読ませるのはリスキーではないかと思う)。
「余裕派」と呼ばれる漱石が喝破する「人間」は、読むものに刺さる。
本人は金銭的には余裕どころか困窮気味ではあったらしいが、だからこそいろんなものが見えたのかもしれない。学習院で行った講演「夏目漱石 私の個人主義」は、小説の文体そのままの口調で、聴講生に語り掛けている。聴いてみたかった。
聴けるかどうかはわからないが、1/27(金)に漱石アンドロイドに会えるとか。
チケット入手して、観にいく予定です。楽しみ楽しみ。
こんなことを思っていた日本の文豪がいました。自己啓発本ジプシーになる前に
一読してみては。アフィリエイトは貼ってません。
『檸檬』 十数年ぶりに再読。
10月です。秋の夜長を読書で楽しむ・・・には短すぎる梶井基次郎の『檸檬』を読む。
かなりの短編で、10~15分もあれば読み切れるんだが、20代前半だった頃の私は途中で嫌気して読むのを止めてしまった。成人したてだった自分には、レモンひとつで世界が変わるとか、馬鹿にするなみたいな。なんとも言い難い違和感があったんだと思う。
んで、今読んだら違う感想も持てるんじゃないかと根拠のない確信があり、読んでみた。驚くほどすいすいと、主人公とこの世界に感情移入できる。主人公は常に、自分がいる空間から、意識だけを他の場所にすっ飛ばしていた。現実逃避といえば聞こえは悪いが、ストレス発散の有用な手段の一つではある。はたしてそういう心がけがあれば、レモンひとつで世界は変わる。「何がさて私は幸福だったのだ」と。
これは私見。みんな公園や森林浴、果てはパワースポットといった場所に、過剰なリラックス効果を求めていないだろうか。ザギン・オモサン・ギロッポンなどに、過度にオサレなステータスを求めていないだろうか。「求めて」その空間に行くと、たぶん思ったほどの効果は得られない。下手をすると余計に沈む。日常の中でいい。日常生活の中で、意識をほんの少しすっ飛ばしてみればいい。たぶん、スマホの画面にも、ラッシュアワーの通勤電車も、スーパーの特売品にもきっかけはあると思う。
『檸檬』の主人公が最後に仕掛けたいたずらも、ちょっとやってみたい。
読書と読書感想文
【視聴記】 真田丸 第38回「昌幸」
※大河ドラマ真田丸のネタバレを含みます。最新話をご覧になられていない方はご注意ください。
なにせブログを開設したのが3日前なもので、
このような中途半端な回からのレビューになってしまい申し訳ない。
2016年の大河ドラマ「真田丸」は久々に第一話から観ているドラマで、
戦国好き、中でも真田昌幸のような謀略系の武将が好きな私にはとても楽しい。
さて、本作MVPの呼び声も高いその昌幸が昨日の放送で退場となりました。
九度山に幽閉後、失意のうちに病死。
信濃に帰りたかった、上田に帰りたかった。本心なのでしょう。
最後の言葉は「おやかたさまーーー!」でした。
三成が秀吉の死後も忠義を貫いたように、
昌幸にも武田信玄という巨匠がいた。
甲斐、信濃に拘ったのは信玄という「亡霊」に振り回されたものでは決してない。生涯をかけて遺志を果たしたいと思える人物に出会えたことは、ある意味とても幸せであったのかもしれない。じゃないと最期に迎えに来てくれたりしないよね。
先人の志に応えることと、自分らしく生きることは両立できるんですよね。
人のために自分を押し殺すことはないし、自分を通すためなら先人のことはどうでもいいや、というのもなんか違う。そういう人生を生きられた昌幸は、最後の生活はともかく幸せであったのかな、と。
あと、ナレ死じゃなかったのも幸せだった。
啓蒙かまぼこ新聞
はてなブログの今週のお題が「プレゼントしたい本」ということで書いてみました。
故・中島らもさんがコピーライター時代に宝島の「広告枠」で連載(?)していた関西の練り物メーカーの広告をアーカイブしたもので、
広告文なのかエッセイなのか、ただ酔っ払って適当なこと書いてるだけなのか、なんとも表現しがたい1冊でした。
お題が「プレゼントしたい本」なのですが、本著をプレゼントしようものなら相手は間違いなく「???」でしょう。「泣ける本」とか「ためになる本」とか「話題の本」とか、そういう類のアオリがつく著作では一切ないもの。しかも30年ぐらい前の仕事という。
でも一読して、ふとした一節にプッと笑うようなそんな本です。相手のドン引きからの笑顔を目指して、レッツサプライズプレゼント!
アフィリエイトはする気ないので、
気になる方はタイトルコピペでググってくださいな