トロワログ

本音全開。でも、読む人が楽しめれば嬉しいな、という気持ちを保ちつつ綴ります。

『檸檬』 十数年ぶりに再読。

10月です。秋の夜長を読書で楽しむ・・・には短すぎる梶井基次郎の『檸檬』を読む。

 

かなりの短編で、10~15分もあれば読み切れるんだが、20代前半だった頃の私は途中で嫌気して読むのを止めてしまった。成人したてだった自分には、レモンひとつで世界が変わるとか、馬鹿にするなみたいな。なんとも言い難い違和感があったんだと思う。

 

んで、今読んだら違う感想も持てるんじゃないかと根拠のない確信があり、読んでみた。驚くほどすいすいと、主人公とこの世界に感情移入できる。主人公は常に、自分がいる空間から、意識だけを他の場所にすっ飛ばしていた。現実逃避といえば聞こえは悪いが、ストレス発散の有用な手段の一つではある。はたしてそういう心がけがあれば、レモンひとつで世界は変わる。「何がさて私は幸福だったのだ」と。


これは私見。みんな公園や森林浴、果てはパワースポットといった場所に、過剰なリラックス効果を求めていないだろうか。ザギン・オモサン・ギロッポンなどに、過度にオサレなステータスを求めていないだろうか。「求めて」その空間に行くと、たぶん思ったほどの効果は得られない。下手をすると余計に沈む。日常の中でいい。日常生活の中で、意識をほんの少しすっ飛ばしてみればいい。たぶん、スマホの画面にも、ラッシュアワーの通勤電車も、スーパーの特売品にもきっかけはあると思う。

『檸檬』の主人公が最後に仕掛けたいたずらも、ちょっとやってみたい。